「ベビーシッター事件」に見る、アーキテクチャの問題の現在

なかなか文章が書けていないのだけど、あまりに間隔が開くのはよくないと思い、こだわらずに考えていることをまとめてみる。

ベビーシッターによる悲痛な事件は、アーキテクチャと無関係ではない

ベビーシッター宅での2歳児死亡事件についての解説 | 駒崎弘樹公式サイト:病児保育・小規模保育のNPOフローレンス代表
ベビーシッターによって子どもが殺害される、この悲惨な事件からまだ20日ほどしか経過していないのに、この事件の情報を目にする機会が著しく減っているように感じる。しかし、Twitterでもつぶやいたのだけど、「ベビーシッター事件」においてwebがどのように利用されてしまったのか、その点についてはきちんと考えていかないといけない。

資格や利用者のリテラシの問題なのか

「准保育士」導入を検討 政府、子育て経験女性を担い手に :日本経済新聞
今回の事件の前から「准保育士」の資格が検討されていたようだ。何か問題が起きた時に、その分野に関わる人の資格を問うというのはひとつの管理方法としては妥当だと思う。特にwebによってサービスの提供が加速している現代社会において、サービス提供者として適切かを判断するために、人に「タグ」をつけて管理する発想は便利だと思われる。しかし一方で、資格の管理は非常に難しい。ある資格の所有者を管理するため、それらを一元登録し、かつ同一の教育を定期的に施し続けなければならない。そして多様なサービスに合わせてその数だけ資格が必要になり、「○○協会」が乱立する。

「検索ワード」のズレ問題

今回の事件において注目すべきは、「マッチングサイト」と便宜上名付けられたwebを利用したサービスの誘導ルートだろう。
ベビーシッター「マッチングサイト」の実情は? なぜ必要とされるのか (THE PAGE) - Yahoo!ニュース
行政は第一優先で利用者のためにSEO対策とスマホ化を行うべき/横浜ベビーシッター事件より | More Access! More Fun!

駒崎さんの記事にも言及されているが、行政が用いる「保育」という言葉と一時的に預ける際に利用される「ベビーシッター」の言葉の差が、今回の事件に繋がっているという指摘は一理ある。人々がサービスを探す際に実際に検索に利用する文字列とサービスを供与する側が想定する文字列がズレることは、ベビーシッターに限らずwebサービスを運営した経験がある人ならば経験があることだろう。
しかしこの指摘は、実は片手落ちである。なぜなら、webサービスの運営経験がある人は同時に、「予算が足りないから機能を実装できない」という経験があるはずだからだ。自分のサイトに流入する検索ワードを調べ、それを他の類似サービスへの検索ワードと比較し、足りない部分を自分のサイトへ反映する…サイト引き渡し後の運営に当たるその一連の作業は、それなりに大きな予算がなくては実行できない。

提供されるサービスの公共性によって、適応する技術水準を定める

今回のベビーシッターの事件を受けて、IT業界、というかInformation Architectを自称する人達に考えて欲しいのは、サービスの性格によって、実装されるべき技術の最低ラインが設定されるべきではないのか、ということだ。
これは建築基準法を例に出せば比較的イメージしやすい。建築においては、建築物の高さ、大きさといった規模や、学校、商業施設といった用途によって、それぞれ設定される基準が異なっている。


webサービスにおいても、今回の事件で分かるように、幾つかの水準を設けることができると思われる。例えば、フィジカルな接触に着目してサービスを分類することができるだろう。
①情報の閲覧のみを目的とする(フィジカルな接触なし)
②物を購入する(無機物の移動・接触)
③身体的なサービスを得る(人の移動・接触)


サービスをこれらの水準に分けた時に、現在において①や②の経済規模は大きく、より良いサービスを目指して様々な実験が行われている。Amazonのマーケットプレイスのようなショッピング・ポータルサイトでは出店者の評価システムが導入されているが、それを導入するだけのメリットが経済規模的にあるからそのような実験が可能だと想像できる。
当然、ベビーシッターのマッチングサイトにおいて、ベビーシッターの評価システムは厳密に管理ができていたのか、改善できる点はなかったのか、のような言葉を投げかけることはできる。しかし、全国または世界に対して商売圏を確保できるサービスに対して、実際に人が何かを行うサービスが小さな経済規模になることは想像に難くない(実際に人と人が出会うことが前提となるため、全国や世界を網羅することよりも、特定の地域にフォーカスを当てた方が精度が高い)。そのような状況の中で、利用者のフィードバックやそれを受けて登録業者への注意喚起といった業務を遂行するのは「コスト」に見合わない業務である。


なので、やはり考えられるべきは、①②のサービスで得た知見を、如何に③のような公共性の高いサービスに流用するのかであろう。「しっかりとしたweb制作会社に仕事を依頼すればよい」といった資本主義の原理に任せていたのでは、今後もwebサービスをきっかけとした同様の事件が起きてしまう可能性は高いままである。


いろいろと言葉足らずな気がするけど、ひとまずこのへんで。