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マンフレッド・タフーリ(「20世紀建築の発明」から)

20世紀建築の発明

原著は「Histories Of The Immediate Present-Inventing Architectural Modernism」2008年4月出版。(なぜかネットに落ちてた→eBook for Everyone
以前購入した「20世紀建築の発明──建築史家と読み解かれたモダニズム」(著:アンソニー/ヴィドラー、訳:今村創平、2012年6月)をつらつらと何度も読み返しているのだけども、マンフレッド・タフーリだけ他の建築批評家と毛色が違って気になっている。
マンフレッド・タフーリについて、よく知らないので幾つかネットから拾ってきてみた。

概要
マンフレッド・タフーリ
(via はてなキーワード

タフーリの書籍(リンク先はAmazon)


LATs(Library for Architectural Theories)
LATSは東京大学建築学専攻難波研究室OB・OGと難波和彦+界工作舎のOB・OGを中心に企画された「開かれた読書会」。2010〜2012年。
ベンヤミン/タフーリ/コールハース
(via ホーチミン・シティ便り
アヴァンギャルドの「計画」とズレ-マンフレッド・タフーリ『球と迷宮』書評-
抑圧されたモダニズムの回帰
(via 10+1web「Library for Architectural Theories」

ブログ
マンフレッド・タフーリ+フランチェスコ・ダル・コ『近代建築1』片木篤訳、本の友社、2002
(via RCao 2.0

球と迷宮という言葉は面白い。難波先生によれば…

「球」は、計画、秩序、法則、人工、社会主義などのことであり、「迷宮」は、自然、無秩序、偶然、資本主義などのことである。

これらを読み比べてみると、ヴィトラーの主張とLATsの主張に大きく開きがあるような印象。LATsの方たちが「球と迷宮」着目しているのに対して、ヴィトラーは「球」だけに着目しているように感じる。(まさにブレーのニュートン記念塔!)
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「20世紀建築の発明」を読んだ後に感じる違和感はまさにそこだ。ヴィトラーはル・コルビュジエを巡る4人の建築批評家に注目しているが、まさに「迷路」ー計画されない部分、混沌としたもの、周囲との連動により機能するものーへの視点が避けられている。翻訳した今村氏も、本書のシンポジウムでこのように指摘している。

訳していて不思議だったのは、コーリン・ロウが有名なのは『マニエリスムと近代建築』の後半に入っている「透明性 虚と実」(原題"Transparency: Literal and Phenomenal", 1956)の理論です。ピュアなモダニズムには実は曖昧なところがあり、それがマニエリスムのオペレーションによってできてくるという指摘です。それは自律性と関わっているのですが、「透明性 虚と実」のことがなぜかこの本には出てきません。

アンソニー・ヴィドラー『20世紀建築の発明──建築史家と読み解かれたモダニズム』(今村創平 訳)をめぐる書評シンポジウム

岩本氏に言わせれば「タフーリはヨーロッパ文化はアメリカの摩天楼を把握できなかったと結論する。」そうなのだが、ヴィトラーのこの本は、まさにアメリカの摩天楼を把握できなかったヨーロッパ文化人が記した本、と位置づけれるのではないかなー。

LATsの岩本氏による「ベンヤミン/タフーリ/コールハース」での、タフーリとコールハースの比較は非常に面白い。ヴィトラーがタフーリの歴史への仕事を中心に語るのに対し、岩本氏がタフーリのルネサンス建築の研究への没頭に意味を見出していないのも対比的で面白い視点だと思う。

結局のところ、日本の建築家の視点は「迷路」ーそれは「透明性 虚と実」に代表される抽象性の操作、資本主義と結びついた記号操作ーに向いているのに対して、西欧のモダニズムの流れをくむ建築家・建築史家の視点は「球」ー学問としての革新性、歴史の正統的な継承ーにある気がした。