新国立競技場を取り巻く現在の状況についてのメモ

新国立競技場を取り巻く現在の状況についてのメモ

ザハ氏を中心に進められてきた計画・通称ザハ案を発注者側の勝手で白紙撤回し、新しい計画案を再度募集していた新国立競技場。 2015年12月22日に「大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体」(通称A案)に決定し、後は粛々と工事を進め完成を待つだけ…と偉い人は考えていたのかもしれないが、まだまだ問題は山積みである。簡単にメモ。

ザハ案とA案は類似

A案

ザハ案

ふたつの案はパット見は似ていない。Twitterで弁護士の人が「(ザハ氏が自分の案に似ていると指摘しているニュースを見て)笑ってしまった」と書いていたので、世の中では建築家の仕事は外観をデザインすることだと考えている人が多いのだと思う。

しかし、計画案としては非常に類似している。 細かい話は他の方が検討されているので割愛するが、少なくとも柱や通路の位置がザハ案とほぼぴったり重なる。 設計において大きく時間を割く作業はデザインよりも複雑な機能をどう建物の中に収めるかを考える作業であり、それらを決めるためにザハ案は2年の歳月を掛けていた。

これは、逆から考えることもできる。ザハ案が2年の歳月を掛けて積み上げてきた計画なのだから、たった2ヶ月しかない募集期間の中で0から考えるより、それを流用する方が良い建物になるのは目に見えている。そもそも工期もギリギリで間に合わないかもしれないタイミングでの再コンペである。ザハ案を流用する方が無駄な設計コストも掛からない。

発注者JSCの小さなプライドを守るために失われた多くのもの

恐らく今後「なぜ大成建設…共同体はザハ案を流用したのか」という論調でメディアが世論を形成していくと思うが、それは大きな間違いだ。そもそも問わなければいけないのは「白紙撤回して再コンペ」という建前を作ったJSCの小さなプライドだ。 たった2ヶ月しかない期間で8万人のスタジアムを施工方法含めて完璧に検討するというのは不可能だ。今回選ばれなかったB案を作成した側に大手ゼネコン3社が揃っているのは、少なくとも「コンペ」という体裁を整えJSCに恥をかかせないための意味が強いのだろう。(もし採用されても3社いればなんとか職人や材料の手配ができるというセーフティネットの意味もあるかもしれないけど)。

JSCは、自分たちが新国立競技場に求める条件をコントロールできなかった責任をザハ氏に押し付け、あたかも全く新しい案を募集するかのように世間体を見繕い、ザハ案を流用した計画をゼネコンに作らせ採用することで、自分たちは悪く無いかのように振舞っている。 しかも今回の流用に関しては、ザハ側に「デザイン監修料の未払い分を払うから文句言うな」という書面を送ったそうだ。国内でゴタゴタを起こすだけでなく、海外にまで国を代表して醜態を晒しに行くとは…何ともひどい発注者である。

www.asahi.com 「現在の契約を修正し、デザイン料の残額を支払う代わりに旧計画の著作権をJSC側に譲り渡すよう求められた」

発注者の意識

↑のような経験をしたことがあるのだけど、新国立競技場の一連の問題は結局、発注者の責任意識の低さによるものだと思う。 建築に関わらず発注者の意識が低いままだと、まだまだ多くの問題が引き起こされるだろうねぇ。