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「なぜ日本人は残業をするのか」という問題

かなりざっくりと。

役割・時間・自由

前近代の社会では、そこに所属する人間の役割は固定されていた。代表的にはギルド制度であろう。技術的な成熟を得るには当然長い修行の必要があり、必然的に人間の役割は流動化しにくくなる。
近代社会は、その固定化を否定した。王は王であり、商人は商人である、そのような固定化された役割を否定した。つまり共同体に所属する人間に役割の選択の自由社会的な保障を与えた。一方で、何かしらの形で社会に奉仕することを求めた。

私達は共同体の中で「自由」であるが「役割」を探さなければいけない。これはなかなか難しい。

現代社会における、ひとりの人間が抱える役割

さて、今の私達が奉仕すべき社会は多様化している。考えられる共同体を挙げてみる。
◎家族:男女が対になり子供を設ける。共同体における最小単位。父親、母親という役割。
◎会社:共同体において、企業は個々の人々を結びつけてより大きな出力を得るために重要な位置を占める。企業が役割を作り、個々人がその役割に嵌る。
◎居住により生まれる共同体:私達は社会的から様々な保障という恩恵が与えられているが、それを実現するためにそれぞれの保障の種類に対して最適なスケールの共同体が考えられている。国、都道府県、市、地区。それぞれ保障される内容が異なる。
△友人:個々人に依存する集団。複数の集団に属する人もいれば、特定の集団に深く関わる人もいる。過去の所属から派生するものもあれば、ネットワークによる繋がりから生まれるものもある。

人間は身体的な制約のため、これらの共同体における役割を同時に演じることはできない。そのため、役割を都度に切り替えながら生活している。

ヨーロッパと日本における役割の取り扱いの違い

ヨーロッパにおいては、主体が時間によって演じる役割を切り替えているように思う。
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日本においては、主体が人々に共通して認識される架空の場所を移動することで演じる役割を切り替えているように思う。
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残業に対する理解の相違

ヨーロッパにおいて、会社での役割を演じる時間を決めているのは「契約」である。契約を超えて仕事をすることは、他の役割を演じる時間が減ることを示している。それは、他の共同体に対して=社会全体に対してネガティブである。
決まった時間の中で仕事が終わらないのは社会にとって悪である。

日本では、人々は共同体に所属している。この認識において、他の共同体は認識の外である。つまり、その共同体に存在している時間が長いほど、共同体の中で存在感を出せる。他の役割を演じている時は、共同体の中から「消えている」とみなされる。
つまり、残業してでも会社に居続ける方が、会社における自身の存在を他の人よりも主張できる。(逆に、家庭にいない分だけ、家族の中での存在感が消える)

「契約」=設計主義=アーキテクチャ

社会は設計され、人々はそれを守るべきである。
守るべきではないと考えられるルールが設定された場合、人々はそれを拒否し、再度設計を行うべきである。

というのがヨーロッパ的な発想なのだと思う。そして、インターネットという技術はこの思想と(おそらく)相性が悪い。その辺りを掘り下げて考えると面白くなると思う。