プログラムが「アーキテクチャ」と呼ばれるようになったのはなぜか。

architexture」という、情報アーキテクチャのための批評サイトがオープンしました。

architexture.jp アーキテクスチャ — 情報をデザインする可能性の探求

主催者の長谷川さんと浅野さんとは、「アーキテクチャとは何か」を思考する同じ立場の人間として、一度お話させて頂いたことがあります。お話した後に浮かんだのは、プログラムが「アーキテクチャ」と呼ばれるようになったのか、ということでした。そこで、この問題に仮説を立ててみようと。

出発点は、鈴木健氏の著書「なめらかな社会とその敵」に出てくる、人間が世界を認識するふたつの方法の話。

・世界は人間が把握するには複雑であるため、単純化する必要がある。
case1(道具)→興味を持ったものを、その都度、自分が扱いやすいように切り取る。道具は自分と対象の1対1の関係に作用する。
case2(建築)→自分を取り囲む環境を、あらかじめ把握しやすいようにしておく。建築は自分を含む複数の対象に作用する。

ひとまずこの出発点を肯定するとして、プログラムの歴史を振り返ってみると、初期のプログラムは人が作った「道具」でしかなかった。それに対して、現在は作られたプログラムによって人々が左右されている、つまり「建築」的なものとしてプログラムが機能している。

ここから翻って、建築学の歴史の中で「複数の対象への作用」としての建築理論を振り返ってみると、西洋社会の思想と合わせて非常に面白い。例えば、・ルネサンスがなぜ宗教から離れて人間復興に向かったのか。・産業革命によって「デザイン」と「空間」という(この文脈において)対比的な概念が登場していること。・70年代辺りを境に立ち現れた高度消費社会と、その背後でうごめくシステム(つまり「アーキテクチャ」)の台頭、とか。

興味のある人はあんまりいないかもしれないけど、建築アーキテクチャと情報アーキテクチャは、同じ概念の上で、つまりはひとつの歴史として語れるんじゃないか。このことをずっと考えている。直接的にはクリストファー・アレグザンダーとかリチャード・ソウル・ワーマンを扱うことで、間接的には上記の歴史のようなものを参照にすることで。