意識の起源を探る:ジュリアン・シェインズ「神々の沈黙」

新しい年度がもうすぐ始まるということで、今年度は去年よりもブログの更新をがんばっていくつもりで早速更新。 といっても書くネタがそんなにないので、ちゃんと気になるネタを貯めていかないと…。

書籍「神々の沈黙 -意識の誕生と文明の興亡-」

ということで久しぶりに本の紹介でも。 神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

著:ジュリアン・ジェインズ、紀伊國屋書店(2005/04)

本書は2005年に出版されている。原著「The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind」は1976年に記され、また著者Julian Jaynesが1997年に亡くなっており、今読むには古いように感じられる。
しかしたいへん面白く、むしろ21世紀の情報化社会でこそしっかりと留意しておきたい内容である。

600ページを越える大作であり急いで読んだため読み込めた感じはほぼないのだが、非常に簡単に内容をまとめてみると次のようになるだろう。

  • 人間が現在の「意識」の形態なったのは3000年前から。
  • それ以前の古代人は、神々の声を出していた部分と、現代で言う意識している心に分かれていた。(二分心 - Wikipedia
  • 古代ギリシャ神話の「イーリアス」とか分析すると、そのことがよく分かる。

私たちが歴史や物語を通して過去を回想する時、今の自分たちの常識を外して回想することは容易ではない。例えば、エジプトのピラミッドを作った労働者は王様による強制労働だったのか、それとも公共事業の一環として十分管理された労働の場だったのか、といった議論を考えてみると、その状況への回想の内容は自分たちを取り巻く形式を外れていないことに気付かされる。
しかしこの説を元に回想すれば、神々の声の延長上に王様による命令が作用していた可能性を視野にいれることができるわけだ。

意識の形式は技術とともに変遷している?

本書では踏み込んで触れられていない話ではあるが、自分としては「現代においても意識の形式は変遷し続けているのではないか?」という部分に興味がある。
仮に3000年前に意識が誕生したとしても、それから3000年の間、人間の意識の形式が変化していないはずがない。

序章にこんな一節が記されている。

19世紀も終わりを迎えると、蒸気機関車が日常生活に溶け込み、意識について考える意識にも入り込んできた。潜在意識はエネルギーのみなぎるボイラーとなった。このエネルギーは明確なはけ口を求め、抑えようとするとピストンを押し上げて神経症的な行動を起こしたり、どこに行き着くわけでもない夢の、めまぐるしい偽りの充足感を覚えさせたりした。

もちろん「蒸気機関」は比喩であるのだが、その技術の存在が「意識にも入り込んできた」と考えるのは面白い。これと対比させて考えたい事実として、カナダの世界遺産「ヘッド-スマッシュト-イン・バッファロー・ジャンプ」が挙げられる。

ヘッド-スマッシュト-イン・バッファロー・ジャンプは、…崖である。…崖の下には、バッファローの骨が、多いところでは約11m以上も堆積している。なぜバッファローの骨が崖下に堆積しているかといえば、この付近に住んでいた先住民であるブラック・フット族が、崖の上にバッファローを追い詰めて、崖から突き落としてバッファローを仕留める狩猟を行っていたからである。
…このヘッド-スマッシュト-イン・バッファロー・ジャンプは、それらの中でも大規模で最も古く、紀元前3500年以上前から行われていたと考えられている。またこの猟は、ここで、19世紀まで続いていた。

これが確かならば、約5000年もの間、北アメリカではバッファローを崖に追い込む猟を続けていたことになる。

単純に想像するのならば、めまぐるしく状況が変わる私たちの今と、この5000年間変わらなかった先住民との違いに「技術の進化」を挙げることができるだろう。技術が進化すれば意識が変わり、意識が変われば行動が変わる。このような流れの中でIT技術が現れたこの時代にどのような具体的な変化が起きているのかを観察していければ面白いのだと思った。

ネタ元

ちなみにネタ元はスパ帝のニコ生です。ボードゲームやシミュレーションゲームの話が中心だけど、時事問題も時々挟んだりして面白いので興味がある人はぜひ。