ブログっぽいタイトルを付けてみました。
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12月14日から新宿初台のICCにて磯崎新氏の「都市ソラリス」という展覧会が企画されています。これは4年ほど前から磯崎さんが提唱されている「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)」の概念を、震災を乗り越えて思考するための実験的な展示になるのだと思います。
しかし、それにしても、最初に提唱されてから4年も経つのに、「超都市」についての議論はあまり見かけない印象があります。展示に先立って、制作会議と名付けられたプレシンポジウムが行われましたが、そこでの議論(※参照シンポジウム『都市ソラリスへ』 - Togetter)も、磯崎さんの存在感なのか、ソラリスという言葉に惑わされたのか、非常に抽象的な印象でした。
新しい都市形態である「超都市」に限らず、そもそも都市は非常に多くの概念が集まってできています。今回のエントリでは、個人的に展示を理解するために勝手に「超都市」について考えるためのバラバラな(しかし相互に関係のある)4つのキーワードを挙げてみようと思います。
ネットワーク・システム(またはインターネット)
ホワイトハウスのシチュエーション・ルーム(危機管理室)/1968(左)2011(右)
参照:wikipedia White House Situation Room
シンポジウムにて、磯崎氏はこの右の写真、内容としては「ビン・ラディン暗殺部隊から送られくる映像を見ている大統領を始めとする閣僚たち」の写真を示し、「彼らこそ現代のアーキテクト」だと語りました。
ここには2つの意味を見出せます。ひとつは、現代社会におけるネットワーク・システムの(過剰なまでの)整備です。40年前の写真では大統領が作戦のシミュレートのために盤上を見ているのに対し、現代では現地から送信される映像をモニタを介して見ています。もはや現代社会では、アメリカ・ホワイトハウスにいる「政治的意思決定者」と遙か離れた場所にいる「行動部隊」がダイレクトに繋がってしまう程に、ネットワーク網が整備されていることが伝わってきます。
もうひとつは、このような写真が私達に届く状況です。この写真を撮影したのはPeta=Souzaという写真家ですが、彼はTwitterアカウントを持っており(petesouza (petesouza) on Twitter)、彼のアカウントから直接、大統領の写真がネットワークに流されています(以前には2009年よりホワイトハウスのflickrアカウントが開設されています)。権力者と大衆を繋ぐメディア利用において、これまでのマスメディアを経由したメディア戦略とは一線を画した、ネットワークを通したダイレクトな情報展開が行われていることには十分意識を向ける必要があるでしょう。
人体を比喩として用いれば、前者は手足から脳への刺激情報の伝達、後者は脳から各細胞への命令情報の伝達に置き換えることができると思います。これまでは、伝達のために情報を整理するための役割を担っていた中間媒体(メディア)がそれぞれの専門家(例えば官僚やマスメディア)でしたが、その役割が希薄化しネットワークを介して脳や各細胞に直接情報を届けるための経路設計(システム・アーキテクト)が重要になったと考えられます。
集約モデルとネットワークモデルを簡易的に示した概念図。赤い点線で囲われた部分がシステム・アーキテクトの役割。現場から危機管理室への繋ぎ方、危機管理室から市民への届け方、ネットワークによりそれぞれの情報伝達の経路を設計することが可能になった。例えばこの記事などを参考に:ホリエモンが、もしメディアの経営者だったら (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
市民(または国家)
情報伝達の概念図では危機管理室を中心に現場と市民を繋ぐ図を書きましたが、大切なのは図の中心人物であるアメリカ大統領のオバマ氏も1人の市民であることです。つまり、民主主義の理念上では、アメリカ国民であればオバマ氏の位置は誰でもなり得ます。つまり私達は、個として捉えられれば平等だと謳われていながらも、国家という集団を営むための非対称性のある全体性の中で、各個人にはそれぞれ異なった役割が与えられています。
当然、この非対称性は都市に表現されています。集団を運営するために、都市機能はスケールごとに分割して配置されるわけですが、どこを切り取っても均等な都市になっているわけではなく、中心と端、繁華街や住宅地といった具合に都市の役割を分担するのが、これまでの都市計画の(そして専門家としての建築家の)目的だったわけです。
さて、この「市民」という個の概念に着目したい理由は他にもあります。それは、シンポジウムでも磯崎氏が話されていましたが「農民から市民へ」という民主化の流れが、日本では戦後からバブル期までの成長の歴史として、また中国では現在進行形の問題としてあるからです。ここでは、都市は人々を「市民」として機能させるための器になっています。
「超都市」を思考するにあたり、このことは重要だと思います。ヨーロッパにおいては都市は「市民」という概念の発達と共にありました。(都市と市民は同語源であることについては、過去記事を参照→:日本の「市民空間」の特殊性について一連のバイト炎上事件から考える - architecture_database) また、アメリカにおいては、市民が都市を作り、そしてそれが集まり合衆国になっています。それに対してアジアにおいては、都市を作ることで農民を市民にすることで、ひとつの国家としてのまとまりを作りあげています。この違いが、西洋からではなくアジアから「超都市」の概念が生み出される理由と関係しているように思います。
磯崎氏によって示された都市の歴史認識と、それが日本列島においてどのように現れたかを示す表。
参考:ユートピアはどこへ――社会的制度としての建築家 (磯崎新建築論集 第6巻)
この表にも表れている通り、日本と西洋では都市に対して異なるタイムスパンでの発達が観察されるわけですが、この背後には概念としての「市民」とそれを機能させる「都市」の共依存的な発展があります。また、そのように国家を作り上げた後にある現代の日本において、「市民」という概念がどうなっているのか、ということを抑えておく必要があるのではないかと考えます。
消費社会(またはスーパーフラット)
農民を市民にするために計画された都市が機能したのかどうか。少なくとも日本においては、いわゆる西欧的な議会主導の都市計画がそのまま導入されたわけではありませんでした。この辺りの歴史を磯崎氏の括りに習って振り返れば、45年以降の戦後復興を経由したオリンピックから万博までと、70年代の民間資本を主としたバブル崩壊までの都市成長以降とで分けられます。これを非常に簡単に言い換えれば、前者が都市を計画し農民を移動させるというフェイズ、後者が都市と市民との間にできたズレを資本による開発が埋めていくフェイズだったと指摘することができるでしょう。
ヨーロッパにおける都市計画は、丁寧に時間を掛けて議論を重ねながら作られるものだと思いますが、成長期の日本においてはひたすら開発が続けられました。その結果として現れたのがバブル景気であり、その後の95年以降に現れたのがスーパーフラットと称される「物で溢れているのだけど、全てが同じに見えてしまうフラットな」社会でした。(過去記事参照→「スーパーフラット」を再考するにあたっての忘備録 - architecture_database)
祝祭性(またはアイドル)
農民を移動させるために作られた近代都市に欠けているものとして、よく祝祭が挙げられます。例えば、近代の都市計画では、ヨーロッパ型の広場の重要性が唱えられる一方で、日本ではその広場はうまく機能していないという批判が出ます。それは農民の慣習と市民のための都市形態がズレているからです。
この問題に関しては、近年積極的に解決が図られているようにも思います。例えば、山崎亮氏による一連のワークショップを含めたまちづくり活動や、富山市のような官民一体となったイベントによる市街地活性化の動きなどが挙げられるでしょう。藤村氏がシンポジウムにて、手法Xに当てはまるものとしてワークショップを挙げられていましたが、市民と都市のズレを補正する動きが始まっているように思います。
ワークショップが市民的な側面だとすれば、資本主義的な側面からは都市を「消費者と市場」という形式に置き換えることでズレを補正していきます。消費者は何に集うのか。その答えは自信が所有できる商品や、他では味わえない体験というような、(その名の通り)消費者が消費しやすい形が求められます。公共施設のような建築による都市機能では機能への理解なしに人は動かないのですが、所有できる物であったり、アイドルと場を共有できるとなれば、人は自然と集まります。(当然、これらの動きはどちらともにネットワークの普及と密接な関係があるでしょう。)
キーワードってソラリスとかオイディプスとかじゃないの?
キーワードというからには、展覧会のタイトルになっているロシア映画監督タルコフスキーによる「ソラリス」や、論集でも語られている「オイディプス王」に始まるソポクレスのテーバイ3部作、またそれらとリンクした20世紀ロシアSFの流れや西洋哲学の系譜についても詳しく知りたいところです。自分でも検討してみますが、誰かそちら側に詳しい人がいたら、ぜひとも超都市との関係を含めてご教示頂ければと思います。
長くまりましたが、こちらからはひとまず以上です。