「無給のインターン問題」を文化ギャップの視点から。

国内の学生作業の対価についての問題ならば

という質問を頂いたのですが、私には心当たりがないこともあり、とりあえず考えられる状況をまとめてみました。
学生が設計事務所にて行う作業を「教育」とみなすのか「労働」とみなすのか、
「教育」とする場合、対価を何に設定するのか、
「労働」とする場合、作業に応じた賃金を支払う。
いづれの場合も、労働環境は適切に監視されなければならない。
(建築業界に集まる資本の多寡の問題を別途として扱う場合は、①〜④が考慮されていればよいはず)
②の「教育」の対価に関しては、現状オープンデスク制度を主導する学会では一級建築士の受験資格の一部が対価になっています。そして何度も書きますが、素晴らしい建築家の元で体験する無給の作業を対価としたい人は、「思想地図 vol.3」に掲載されている鈴木謙介氏の論考「設計される意欲ー自発性を引き出すアーキテクチャ」(AA)を読み、受け身な「憧れ」を生み出してしまう社会要因があることを抑えておいて頂ければと思います。

岡田先生が書かれた通りで、国内の問題に限って言えば、各ステークホルダー間で満足のいく妥協点が設定されればよいことです。私みたいな一般人が「無給はよくない」と声を大にして主張することでもなく、建築業界におけるオープンデスク制度を定めることができる人達が中心となり、民主主義的な手続きを経て決めていけばよいことだと思います。

個人的には、鈴木氏の論考にもあるように、周囲の大人たちがが「○○事務所出身」に価値を置いたり「有名建築家の先生の元でボランティアをしよう!」とSNSを利用して斡旋するなどといった、学生を変に駆動する社会的要因が減ればいいと思います。


Q.結論が「今後も議論を続けましょう」なら、なんでわざわざ記事にしたの?

A.それは、前回の記事で指摘したかったことの中心が、国内の「無給のインターン問題」ではないからです。問題なのは、むしろ文化のギャップです。

確かに、Dezeenが取り上げた問題の表向きは「無給のインターンの是非」で間違いありません。しかし私が気になったのは、前回の記事でも指摘しているように次の部分です。

In Japan we don’t yet discuss whether unpaid internships are good or bad
日本では、無給のインターンシップがよいか悪いかまだ議論されてない

http://www.dezeen.com/2013/06/05/unpaid-architecture-internships-in-japan-are-a-nice-opportunity/

該当記事より該当部分を抜粋
f:id:arch-database:20130607042515p:plain

これは私自身の個人的な興味なのですが、いわゆる1995年あたりまで均衡を保っていた世界が、それ以降のグローバル社会においてどのような衝突を起こすのか、という問題としてこの事例を扱っています。

プリツカー賞の受賞者が、2010年ーSANAA、2011年ー王澍、2013年ー伊東豊雄とアジア人が続いているように、アジア、その中でも日本の建築家の活躍が世界でも目立っています。そのことが、日本がヨーロッパに並んだ先進国であると示すのかといえば、答えはNoでしょう。そこに現れる文化間の微妙な差に、個人的には非常に興味があるのです。端的に言えばこの記事では、ヨーロッパにおいて守られてしかるべき人権問題について「日本は議論すらしていない」のだから。「日本は民主主義的に未熟である」ことをアピールするために使われているように、私は感じました。


日本人建築家のヨーロッパでの成功の報が伝わってくる一方で、「日本は民主主義的に未熟である」=「ヨーロッパが日本建築の素晴らしさを位置づけている」という状況があると私は考えています。これこそが1995年までに保たれていた均衡に他ならないでしょう。そして、1995年以降、この現状をどう乗り越えていくのか、その戦略を練ることが大切なのだと思います。そこを目標にする場合、双方にある文化を背景とした意識の差を理解した上での、節度ある行動が求められてしまうのでしょう。


いろいろと書きましたが、今回の藤本さんの発言に関して簡単に言えば、都知事とか府知事の失言と同じ、文化のギャップを考慮できていないということが指摘したかったのです。今後の私達は、グローバル社会における各文明の関係性を押さえずにはいられないでしょう。「武器としての社会類型論 世界を五つのタイプで見る (講談社現代新書)」(AA)あたりが参考になりますので、気になる人はぜひ読んでみてください。

この話を展開していくと、その先に「リアル・アノニマスデザイン: ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア」(AA)に出てくる「アノニマスデザイン」を批判する話に接続できると思います。差し当たって以上です。