最近の建築を取り巻く状況についての考察 その2:ユニット派論争から現在までの流れ

その1 :「フラット」とは
その2 :ユニット派論争から現在までの流れ
番外編1:こたつ問題
2の補足:

2000年のユニット派論争

スーパーフラットが流行した時に、建築業界の方でもアクションがありました。有名なのは飯島洋一五十嵐太郎のユニット派論争です。

  1. 飯島 :「<崩壊>の後で—ユニット派批判」(『住宅特集』2000年8月号)
  2. 五十嵐:ユニット派あるいは非作家性の若手建築家をめぐって(via:10+1web)
  3. 飯島 :「反フラット論—「崩壊」の後で2」(『新建築』2001年12月号)
  4. 五十嵐:反フラット建築論をどう読むか(via:批評空間)

飯島は最初の論文で<みかんぐみ>や<アトリエワン>を「ユニット派」と定義し、二つ目の論文でそのユニット派に<佐藤光彦><西沢立衛><西沢大良>などを加えて「フラット派」をスーパーフラットを指向する建築家達として定義し直すことで当時の建築界を批判しようとしました。後に五十嵐が指摘するように、「第二次世界大戦」「学生闘争」「阪神大震災」「WTC崩壊」などを組込んだその論理は少なくとも筆者の世代である1980年生まれ以降にはあまりピンとくるものではないのですが、2章に「アンチという態度」4章に「『外部』の喪失」と書いた飯島の反フラット論は少なくとも現状をよく表していると思ます。

しかし問題なのは、こうした日常性という態度の中には、依然として「葛藤」がなく、「抑圧」する「他社」や「外部」もないことである。葛藤がないから、彼らは既成の状況を改変するのではなく、あくまでもその隙間にしか着目しない。そこには文字通り受動的な態度しか見られないが、それは70年代のドイツの青年たちの「何もするな」という声明とほぼ同じものである。それはやがて「自分たちだけの世界に静かに閉じこもりたいという欲求」に辿り着くだろう。そこでは対立のないフラットなものが志向され、同時に奇妙な「自由」が跋扈する。この「自由」の正体は、ニーチェが『道徳の系譜』でいった「一切は許されている」というニヒリズムそのものである。(4章『外部』の喪失より抜粋)

フラット派は何をしたのか

ここでフラット派と呼ばれた建築家たちの活動をあげるとするならば、ギャラリー間15周年記念展「空間から状況へ」が挙げられると思います。空間から状況へ(via:GALLEY-MA)

 1960年代生まれの建築家は、1990年代のバブル崩壊後に頭角をあらわし、それぞれに個性的な設計手法と活動形態を展開している。かつてモダニズムの建築家は、機能的・幾何学的な空間を構築し、社会改革によるユートピアの現出を志した。ポストモダンの建築は、スタイルとイズムを多様化させたが、日本では有効なストックを残すことなく、バブル経済の加速化に巻き込まれた。しかし、いずれの態度も、もはや有効ではないことを若手建築家は感覚的にかぎとっている。
 彼らの態度は、以下のように要約されるだろう。建築を「空間」的な造形に還元し、オブジェクト化するのではなく、建築の外部に注目し、周辺の「状況」との関係を含めて再定義すること。過去を切断する前衛派の混乱でもなく、過去に回帰する保守派の秩序でもなく、差異と戯れる個性派の饗宴でもなく、都市のリアルをつかまえ、デザインに接続すること。本展覧会は、建築家の職能を改めて問いながら、10組の若手が同時多発的に起こす新しい建築のうねりを紹介する。
 少子化と高齢化、移民の増加、情報化、環境問題、経済停滞、市民運動などにより、21世紀の社会は変容せざるをえない。都市は、社会が平坦化したスーパーフラットの彼方に向かう。展覧会は、自由な形式による2組ずつの個別展示と都市の問題を扱う共通展示から構成されるが、後者は、直線的な成長を目的とした近代都市計画とは違う手法を探索する。すなわち、数字がリセットされる、ミレニアムの変わり目に、21世紀を担う若手建築家が、その立場を明らかにすることが本展の目的となろう。
五十嵐太郎

この太字の部分から、フラット派が飯島が指摘するような「自分たちだけの世界に静かに閉じこもりたいという欲求」に閉じこもろうとしているわけでは決してないこと、つまり、60年代から続いてきた建築界の流れがすでに現状に即していなく、自分たちの置かれた状況を建築としてデザインしていくことこそがこれからの建築家に求められていることなんだ、という声明が読み取れると思います。

フラット派以後の「身のまわり」

時代は進みフラット派の建築家たちは建築界を担う立場になり、石上純也、大西麻貴+百田有希、中村拓志といったさらに若い建築家が台頭してくることになります。彼らはフラット派が「身のまわり=自分たちの置かれた都市環境」を建築に翻訳したことに対して「身のまわり=私とそれを取り巻く回り」を建築のデザインに用います。同時に、「社会性」と「私性」という概念が議論に頻出されるようになります。

大西:私たちが藤村さんに聞いてみたいことは、何を「社会」と設定するのかということです。私たちは、まず自分の半径30メートル以内のことから「社会」を考えようとしていて、それに対しては自分で建築をつくったら責任をとるということができると感じます。(1995年以後より抜粋)

また、建築家:原広司はこの流れを後押しするように「ラディカルな小さな建築を誘起するためのー『身のまわり』についての注釈」(住宅特集200905 巻頭論文)を書いている。

つまり、早い話が、都市にせよ、建築にせよ、「身のまわり」の計画であり、設計であるといってしまいたいのだ。(「身のまわり」についての注釈より抜粋)

つまり、ここ数年の間で「身のまわり」の解釈がかなり広義に渡って展開しているといえます。それが逆に、フラット派が否定することのできた飯島の主張「同時に奇妙な『自由』が跋扈する」に正当性を帯びさせてきているような気がするのです。