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第16回Aプロジェクトシンポジウム「建築のもう半分」の感想

ミサワホームが長いこと続けているAプロジェクト。その第16回シンポジウム「建築のもう半分」を聴講してきたのでその感想をメモ。
Twitterにも書いたのだけど、あそこだと簡単に流れちゃうからね…。

イベントの詳細はこちら

10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト|建築インフォメーション|第16回Aプロジェクトシンポジウム「建築のもう半分」

シンポジウムでは、登壇者のひとりnoizの豊田啓介氏の書いたテキスト「ポケモンの半分」が導入で紹介された。以下に一部を引用。

www.archifuture-web.jp

プラットフォームの話はさておき、今回改めて自分事として実感したのはイングレスとポケ モンの差、つまり共有するコンテンツの部分だ。
…Pokemon Goはイ ングレスと実質的に同じプラットフォームなのだとして、イングレスが独自のゲームとして どんなに面白い世界を内部に持っていたとしても、結局ポケモンという一般の人が広くイ メージできるコンテンツ、つまり「あらかじめ分かる半分」のあるなしで、社会への展開力 は爆発的に異なる。
…結局は「外の人:世の中の大部分の人」と 最初に共有できるコンテンツが足りていない。まず掴んでもらう半分がない。

ポケモンGOとイングレスを比較すれば、確かに豊田さんの懸念は理解できる。しかしそれは「ゲーム」だから故の懸念であり、「建築」では必ずしも利用者に能動的に認識される必要はないのではないか、と個人的には思う。

例えば、豊田氏が紹介した作品のひとつに"フリップマトン"という「音を形態に、形態を音に還元するファサード」があった。

noizarchitects.com

この作品に対して「利用者の反応はどうですか」と(意地悪な)質問をしたのだけど、「利用者が意識的に『ファサードの形態と音が関係している』と理解できないからフリップマトンは悪い作品だ」と言いたかったわけでは決してない。

"architecture"の意味はどこだ?

そもそも「建築」と「建物」は異なる言葉だ。
単純に"archiitecture"は"building"ではない。

たいていそう書く人は「建物」と「建築作品」の間にこの線を引こうとするが、しかし個人的にはローレンス・レッシグの「code」に記された"architecture"の役割こそ、建築と建物を明確に分けるのではないかと思っている。

この「code」が出版されてから既に17年が経つが、重要なのは、この本では"architecture"を「人々の行為を制御する4つの要素のうちのひとつ」と記している点だ。

  • 法(Law)
  • 規範(Norm)
  • 市場(Market)
  • アーキテクチャ(Architecture)

平たく言えば、建築は(法律のように)誰かによって意図をもって設置されるが、そこに意図があることを利用者には気づかれずに、行為を行わせたり制限したりする力がある。

最近はめっきり話題に挙がらない「建築計画」の分野はまさにその代表だといえる。建築計画は建物を訪れる人達に対して、部屋の配置や規模、動線を計画するすることで適切な建築体験となるように人々の流れをコントロールする。

情報革命の前後

しかし(レッシグに言わせれば)その"Architecture"の役割は、情報革命と共に情報空間に軸足を移している。これまで物理空間で行われていた人々の行動の制御が、スマートフォンへの過度な情報の付与によって制御され初めているといえるだろう。建築計画が近年話題に挙がらないこととスマートフォンによる情報空間の拡張は恐らく相関関係があるといえるだろう。

そのような状況を鑑みたうえで冒頭の話題に戻せば、豊田さんがポケモンGOの広がりを見た時に大衆へ広く受け入れられるコンテンツ力に気持ちが引っ張られるのも分かる気がするのだ。建築がア・プリオリに人の制御装置として機能していた時代から、情報革命以降はスマートフォンに一部の制御が取って代わられてしまった時代へと移行したのだから。

しかし、ポケモンGOに負けないように建築はコンテンツ力を高める方向に向かうべきだろうか。 直感では違うと思う。が、その辺りはまた今後まとめていきたい。今日はここまで。