サイバーエージェントの偉い人はゲームとパチンコで射幸性が異なるとか本気で言ってるの?

やまもといちろう氏とサイバーエージェント社の副社長の対談の後編が掲載されていました。

business.nikkeibp.co.jp

この中で副社長がこんなことを言ってます。

まず、パチンコの射幸性とゲームの射幸性はまったく違うものだと認識をしておりまして。現金を期待して現金を投じる、というのと、ユーザーがその世界観に入って自分の好きなキャラクターが欲しくてガチャを回すというのは、違うと思っているんですね。

一方で開発者側の意見ではこんな意見があるみたいですが。開発者に呑気にいろいろと喋らせて経営者はだいじょうぶなんですかね。

biz-journal.jp

それはよく言われますが、僕は絶対に(コンシューマーゲームの市場を)食っていないと思います。コンシューマーのユーザーは、簡単にお金を出しません。僕が「食ってるな」と思うのは、パチンコ市場です。一回に何万円もお金を出すユーザーを抱えているのは、パチンコだけですよ。
ソーシャルゲームのユーザーは、もともとパチンコのお客さんだったと思います。だから、僕らも、そこを意識して食いにいっています。グイグイ食い込んでいるので。パチンコ業界は相当苦しいと思いますよ。

そもそも射幸性って何だ。パチンコ・パチスロ用語集を参考にしてみよう。

射幸性(しゃこうせい):パチンコ・パチスロ用語集:777@nifty

法律用語では、競馬や宝くじなど、偶然に左右される契約を「射幸契約」呼ぶ。賭博のように射幸性が強いものは、公序良俗違反として民法では無効となり、刑法でも違法と見なされる。そもそも日本において賭博が禁じられているのは、その行為が風俗を害し、公共の福祉に反するためである。
また、射幸性はわかりやすく「ギャンブル性」と言い換えることもでき、遊技者の射幸心をあおり過ぎる過激なスペックや機能は規制の対象となる。保通協(保安電子通信技術協会)ではこの点に重きをおいて検査されているが、まれにホール導入後、射幸性が高すぎると撤去されるケースもある。
2015年11月から対応機の導入が始まるパチンコの新内規も、MAX機の射幸性を抑えることが最大の目的。パチスロにおいても、規則の拡大解釈により射幸性が高い機種が出てはそれを規制する動きの繰り返し。このいたちごっこはこれからも続く。

まとめ

  • ユーザーが何を期待しようと偶然性に左右される契約を射倖契約と言う。
  • やまもと氏が指摘するように他の分野においては射幸性は厳密に管理されているが、ソシャゲはこれまで野放しでやってきている。
  • このままだと業界規制は経営者と開発陣の意思統一がされずに終わり、結局管理団体が作られるようになるんじゃないの。

射幸心を一番煽られてたのは無規制の状態で高額売上を叩きだした会社側でした、ってオチが見えるね。


[追記]

ゲームとパチンコで射幸性が異なるのでは、という意見があるようですね。

【重要追記有】「射幸性」は果たしてソシャゲの本質的な問題点そのものなのか – 教育ビジネス研究所

すなわち,「ギャンブルとしての射幸性」と,「萌え媒体がその本質的特性として有する顧客誘引力」というのは,少なくとも話の発端としては「別の事」なのではないか,と,誠に荒削りな試論ながら一言指摘する次第です.
…そして,この二軸的な観点からすると,モバイルゲームの課金ユーザーのメンタリティというのは,直感的にはあからさまに後者です.即ち,あくまでも先ずは「二次元のキャラクターが可愛いから」お金を払ってでもプレイする(勿論,その背後には「無課金組」も相応割合で存在する)のであって,ギャンブルとか法規制ライン的な意味での「射幸心」とは,人間の精神・脳機能の内訳からして,メカニズムがちょっと少なからず異なるのではないか,と考えられる訳です.

それに対してやまもと氏から意見が出た模様。

lineblog.me

インフォメーション・アーキテクチャとして課金システムの射幸性の構造を捉えると、「欲しい」というモチベーションに対してかなり割合の低い偶発性の上で少額を投資するという状況そのものが人間の認識に対して大きな誤解を生ませてしまう構造だと言えるのであり、その構造を成立させるだけの欲望を喚起できる対象であれば手に入れるモノの内容は問わないと言えるんじゃないかと思います。