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ザハ・ハディドの建築について(プリツカー賞エッセイ抄訳1)

ザハ・ハディド氏はどんな建築家だったのか。ハディド氏のプリツカー賞の受賞時に掲載されたJoseph Giobannini氏のエッセイの最初を簡単に訳してみたので紹介します。

ザハ・ハディドの建築について

Essay: Zaha Hadid | The Pritzker Architecture Prize

アルプス山脈を前に存在を誇示できる建物は非常に少ないですが、2002年にオーストリアに完成したベルクイーゼルのスキーのジャンプ台は周囲の山々に負けない力強さと豊かさを持っています。丘の頂上では、その構造が自由なシルエットを描きながら空を覆い、クラブハウスから折り返し長くしなった形状のジャンプ台は、周囲の風景をエネルギーに変えて崖下の街に注ぎ込んでいるかのようです。周囲のランドスケープを一連の流れの動きとして構造がデザインされ、スキーヤーに飛行機と同じように飛べるような錯覚を与えているように思えます。システィーナ礼拝堂に描かれたミケランジェロの絵画に神がアダムに息を吹きこもうと手を近づけるシーンがありますが、ハディド氏はこの建築で空と地面の間に同じような繋がりを与えたといえるでしょう。スキーヤーがジャンプすることでこの風景は完成するのです。ひとつの流れの中に山と空と地面をまとめあげ、躍動的で表現力に富んだセンスある建築形態がそこにはあるのです。

f:id:arch-database:20110415154511j:plain:w250 Bergisel Ski Jump

「air」、それはハディド氏の建築を表現するエレメントといえるでしょう。彼女は建物を浮遊させてしまうのです。1980年代、建築家たちが重力の痕跡が建物に表現されてしまうのを心配していた時、彼女は視覚的にあたかも重力に逆らっているかのような表現を発明しました。脚本家が人々に劇であることを忘れさせるのと同様に、彼女は人々に重力を忘れさせたのです。1983年には香港ピーククラブの国際コンペに勝利しました。そこでは、ひとつに統合されるのを避けるように、山の中から爆発したような、バラバラな結晶のような構成が表現されていました。重力よりも噴火といったのは、空中に飛び出しそうな建物の痕跡を直接的に表現できるからです。平面図はただ積層するのではなく、バラバラな方向に積み重なり、複雑な断面図へと移り変わってしていくようでした。建物を横断する高速道路が空中に飛び出していくのですから。

f:id:arch-database:20120425184013j:plain:w100 f:id:arch-database:20160402161201j:plain:w250 The Peak Leisure Club

歴史的に見て、この提案は新しい地平を切り開きました。音楽において12音技法が登場したのと同様に、ザハのデザインはこれまでの建築とは全く異なっています。「爆発」、「内破」、「分裂」…そうした比喩で表わされるように、彼女の建築は閉じるのではなく開かれることを目指し、建築に息吹を与えたのです。彼女のデザインは、それまでの「単純なものほど豊かである」といったモダニズムのパラダイムを「秩序とカオス」の間に変化させるものだと考えられました。

1980年代、前述の香港ピークの作品を見た多くの人々は、彼女の建築はコンピュータの影響を受けたと考えました。しかし、実際には歴史的な影響を見ることができます。それはこのプリツカー賞の授賞式が開かれている帝政ロシアの首都、サンクトペテルブルクと関係がありました。彼女の経歴の最初に影響を与えたのは、ロシア・アヴァンギャルドの芸術家でした。カジミール・マレーヴィチ。彼は1910年から20年にかけて弟子のエル・リシツキーと共に、4次元空間を絵画や建築手法に追い求めた芸術家でした。ソビエト連邦によって、その探求は一時中断されてしまいました。

f:id:arch-database:20160402162934j:plain:w250 The Knifegrinder by Kazimir Malevich

1970年代、ハディドがロンドンのAAスクールの学生だった時、マレーヴィチの抽象的なコンポジションに機能と縮尺を与え、建築的なプロジェクトとして再興しました。シュプレマティスムによって実現しなかったフラグメントやレイヤーといったアイデアを、彼女は実現しようと試みました。マレーヴィチの軽やかな絵画にインスパイアされ、彼女はそれを空間的な発明としてデザイン手法へと洗練させました。曖昧な形態を方法論として追求することで、彼女は自分たちを縛り付けてしまうT定規と平行定規といった伝統的なデザインツールから逃れることができました。フランク・ゲーリーが芸術家から影響を受けてその彫刻的な建築物を作り上げるように、ハディドもそこから自由になれたのです。


続きはまた今度。