「ビジネスモデル」という言葉から建築学について考えたこと

 地域活性化を中心に活動していらっしゃる木下斉氏が、興味深い指摘をしていらっしゃったので、少し考えたことをメモしておきます。



 木下氏の主張は、ブログ「経営からの地域再生・都市再生」や、この記事「稼ぐインフラ ―― 人口縮小社会における公民連携事業 | SYNODOS -シノドス-」に詳しいです。また、このツイートの後に未開発都市のノエル氏や建築エコノミストの森山氏といろいろ建築業界での新しいフレーム作りの会話が発展していたので、興味のある人はそちらも確認して頂くとして、ここではもう少し「建築家の大先生」という言葉の示す意味、ひいては「建築学」で考えられることについて書ければと思います。

誰かが戦後都市のビジネスモデルを考えたのか

本コラムでは、人口縮小、産業衰退にともなう地方自治体における財源の枯渇と、公共インフラ全般の更新問題について取り上げる。現在主流となっている「縮小する財政にコスト削減によって最適化して」という方法論だけでなく、とくに近年見られる「公共インフラの一部を民間で利活用することによって稼ぎを生み出し、その収入で公共サービスを支える」という方法論について検討したいと思う。

http://synodos.jp/society/6053

 先ほど紹介したシノドスのコラムの冒頭を引用しました。木下氏の主張は、現代の日本に暮らす私達に直接関わってくる問題として、非常に正しい指摘だと思います。これまで建築家は、メタボリズムを主題に掲げた都市計画や、後にハコモノ行政と言われて批判される公共建築の設計、また世界的な大都市となった東京への考察などを通して、都市との関わりを主導してきました。それに対してバブル崩壊後、経済成長・人口成長が滞って久しく経った現在では、これまでの政府主導にようる公的なマネジメントとは決別し、新しい手法で地域経済を考えなければいけない自体に直面しています。


 振り返ってみれば、これまでの日本の建築ビジネスはふたつの精神によって守られてきました。
・農村が大半を占め、かつ戦後の焼け野原から、近代都市を目指し作り続けてきたスクラップ・アンド・ビルドの精神。
・企業が得た利益を全国に配分し、国土の均等な発展を目指す精神。
東京を除く大都市の発展が戦後どのように考えられてきたのかは、砂原庸介氏の「大阪ー大都市は国家を超えるか(AA)」に詳しいです。
それらふたつの精神により、戦後、日本全土で建築バブルがずっと続いてきたと考えられます。

 当然、建築家はその恩恵を受けています。ただ、このビジネスモデルへと誰が誘導したのかと問われれば、建築家で考えれば日本を代表する丹下健三氏、メタボリストと共同していた官僚・下河辺淳氏、列島改造論を記した田中角栄元総理などの名前を挙げることもできるかと思います。しかし、本当に個人にその責任があるのでしょうか。何より時代が建物を求め、人々が豊かな生活を求めてひたすら邁進していた結果、ふたつの精神が肯定され続けてきたのではなかったのかと思います。

では、建築家は恩恵の中で何を考えてきたのか

 建築家を批判する前に、その恩恵の中で建築家が何を考えてきたのか、ここに注目する必要があると考えます。例えば、雑誌「新建築」や「GA」はたまた休刊になってしまった「SD」「建築文化」「都市住宅」を読み返してみた時に、そもそもそこでは建築産業におけるビジネスモデルの話は主流になっていないことが分かるかと思います。世界(主に西欧ですが、70年以降はその範囲も少し拡大します)にどういった建築が建てられており、そこではどのような思想が建築を通して表現されているのか。また、建築や都市観察を通して社会への批評が試みられています。
 ここで使った思想、批評とは何か。木下氏が次のツイートでおすすめしているブログ記事に目を通してもらえれば、少し具体的な例を出せるかと思います。

 この「都市化する世界」というエントリは「マクロ経済学」というカテゴリになっています。

というわけで、先進国をざっと3種類に分けるとこうなる
・巨大都市経済圏一極集中型(例:日本、韓国、イギリス) 東京、ソウル、ロンドンなど、人口3000万人とかに達する巨大な都市圏が国内に3-4個、または1個とかしかなく、そこに都市人口のほとんどが集中しているモデル。日本だと東京、大阪、名古屋、福岡の4極。こういうところは、経済の効率性は高い一方、その一極が地震や洪水などの天災に襲われると国全体がかなりのダメージを受ける。
・大規模都市経済圏が多数分散型(例:アメリカ) ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、ワシントン・・・といった形で人口が500-1000万人規模の都市圏が大量に国中に分散しているモデル。経済効率性は一極集中型よりも劣るが、地域ごとのさまざまな形の経済発展が可能、という意味では理想的。また地震等の天災リスクにも強い。
・小規模都市経済圏が多数分散型(例:ドイツ、イタリアなど多くのヨーロッパ諸国):人口500万人を超える都市圏は無し。それより小さい都市圏が国内に大量に分散しているモデル。経済効率性は非常に劣ってしまうが、地域ごとのさまざまな経済発展が可能だし、天災リスクに強い。

http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/d1e33419a7c665f77c12eb3532edf111

 確かに、都市の類型としてはその通りだと思います。しかし、これまでの建築家の議論の遡上から考えた時に、これらは「人々はどのような都市で生活すべきなのか」「なぜヨーロッパの都市が小規模でアジアの都市が大規模なのか」といったような視点がない、経済学的な合理性を前提とした分類に映ります。磯崎新氏がICCのシンポジウムで話していた都市へのビジョンと比較してみればわかりやすいかと。
参考→都市化する世界−私が今年考えたいテーマ(後編1) - My Life After MIT Sloan


 別に経済学的な合理性を否定するわけではありません。ここで指摘したいのは、建築学の歴史は、そのような合理性とは異なる水準の話が積み上がってできていることです。例えば、モダニズム期では「人が住むユートピアとしての都市」が、ポストモダン期では都市や集落の観察から新しい都市ビジョンが描かれようとされました。そして、そのような時は必ず西洋哲学が下敷きになっているわけです。(そこからはヨーロッパ諸国の都市が小さい理由も導けるのだけど割愛。)逆に考えれば、恵まれた恩恵の中でひたすら「建築学」という西洋主体の学問を追い続けられた。それが現在の日本建築家の地位(プリツカー賞など)に繋がっているわけです。

「建築」という言葉に固執しない

 建築家という職業名称は、出自である西洋においては思想とリンクすることで重要視されているわけです。しかし、ベースとなる文化が異なる日本においては、存在自体が曖昧です。建築学という学問の射程と、「建築を設計する人」という職能の文化的乖離があるわけです。おそらく、木下氏が使う「大建築家の先生」という言葉は後者なのではないかと思いますが、当事者の建築家たちはむしろ前述したような(西洋をベースにした)「建築学に通じた建築設計者」という理解なので、指摘そのものが届かないでしょう。
 私は、建築学としてはともかく、木下氏の提案は社会的に正しいものだと思います。建物にまつわるもの全てが建築学の範疇にある必要はありませんし、逆に建築学の歴史に束縛されながらビジネスモデルを考える必要もないでしょう。そこで建築や建築家という抽象的な存在のことは気にせずに、新しく立ち上がっている「稼ぐインフラ」という目的のための新しい学問を起こしてしまえばよいのではないでしょうか。