15人の建築家と15人の表現者による対話実験@ワタリウム美術館 その1

15人の建築家と15人の表現者による対話実験
コーディネーション・企画:藤原徹平(隈事務所)
場所:ワタリウム美術館
参加費:各回500円、それと別にバラガン展のパスポート購入する必要あり。(つまり初回は2000円)
9月3日に、上記イベントの1回目が行われたので参加してきました。
第1回のゲストはスキーマ建築計画の長坂常氏とアートディレクター(個人的には雑貨のデザイナーだと思う)D-BROSの植原亮輔+渡邉良重氏。イベントの時間のほとんどは両氏のプレゼンテーションでした(各1時間づつ)。タイトルにある対話はコーディネーターの藤原氏を挟んで行われた3つほどの質問と会場から自分がした質問ひとつだけと少しヴォリューム不足でした。

僕、個人がここに書く批評文について

もしかしたらこのイベントは書籍かビデオかで世間に発表されるものになるかもしれませんが、今のところその情報はなく、ここで僕がイベントの内容について書くのは、かなり主観に沿った内容になります。読む時には、「筆者が捉えた長坂/植原+渡邉/藤原氏の発言」であるということに注意して下さい。*1また、実際に設計/創作活動されている方とまだ学生である筆者の間にある意識の差について、かなり考えさせられるイベントでありましたので、そのあたりを注意して読んでいただけると助かります。
以下、上記のことを理解された上で、続きをお読み下さい。

イベントのおおまかな流れ

アジアが盛り上がりを見せており、日本がそのリーダー的な役割を果たすであろうとアジア諸国の人が考えている時に、その肝心な日本が元気がないように思える。そこで、藤原氏の独断であるけれども、ほとんど面識のないであろう人たちを出会わせることにより、新しい切り口を作り出せるのではないか、と考えた。
第1回のテーマは「アップグレード」

僕たちの生活や空間はここ10年で考えても、実は結構変わってきていると思います。携帯電話やIT化やインターネットやグローバリズムのことだけを言っているのではありません。例えば日々使う手帖を少し違うものにしたりすると、生活の彩りは違うものになっていくように感じます。あるいは自転車を買ったり変えたりするだけでも都市の空間の広がりは変わっていきます。
なにやらやたらと大げさな再開発が各地で行われていますが、もっと小さくてしかし決定的な生活や空間の更新(アップグレード)の方法だってあるのではないでしょうか?(以上、ビラより抜粋)

D-BROSの植原亮輔+渡邉良重氏のプレゼンテーション。

2003年から活動を活発化させており、その後の作品を紹介。ここにはプレゼンされた作品の一部を記載します。以下、特に注がない限り写真・文章はD-BROSのホームページより引用させて頂きます。*2
「Hope Forever Blossoming/flower vase」
シャンプーなどの詰め替えようのパッケージの仕組みを利用した花瓶。平面のビニール素材の入れ物に水を入れると花瓶に変わる。
「From dawn till dusk/cup and saucer/」
ソーサーのデザインがカップの鏡面に映り込むことで成立するカップ&ソーサー。ソーサーの角度と、カップの角度、見る視点などを何度も実験、検証を重ねて作りました。素地の製造は長崎の伝統工芸である波佐見焼を手掛けている窯元によるもの。波佐見焼は透けるような白磁の美しさが特徴的。表面はバラジウム仕上げによる。
「Time Paper/wall clock」
ポスター感覚で気軽に使える時計。
HOTEL BUTTERFLY
D-BROSの新しい概念のプロダクトブランド。この企画の背景にはデザイナーがプロダクトを創造することにより、デザインの楽しさを伝え、それを新しい動きにしたいというD-BROSのコンセプトが内包されています。D-BROSが「ホテル」に視点を置いたのは、そこにはすべてが存在するからです。
衣・食・住があり、出会いがあり、あこがれの生活があり、いわゆるミニチュアの社会そのものなのです。・・・(以下略)
「時間の標本 SPECIMEN OF TIME / AMPG」
*写真引用:memo-kappa-lab.com。2008年10月22日の記事より
清澄白河にある東信氏のギャラリーAMPGにて行われたD-BROSの展覧会で発表された作品。本を開いた折り目の部分に蝶を描きその輪郭を切り取ると、紙の跳ね返りの力でそこに蝶がとまっているように見える、というもの。(文:筆者)

スキーマ建築計画の長坂常氏プレゼンテーション。

長坂常氏は「B面がA面にかわるとき」という本を出されていますが、そこで述べられるようにプレゼンでは同じ景色、同じ対象物だとしても、異なった経験をすることで人の捉え方が変わるのではないか、ということを中心に、様々な写真(ひげの生えたモナリザなど)を紹介しながらプレゼンテーションされました。ここにはプレゼンされた作品の一つ「奥沢の家」を記載します。以下、この紹介で使う写真は「architecturephoto.net:長坂常の著書"B面がA面にかわるとき"の出版記念展示会が開催」の記事より引用し、文章は講演会のメモと新建築sk0905を参考に筆者により書かさせて頂きます。
「奥沢の家」
リノベーション
リノベーション
1階。剥き出しになった鉄骨の梁が見える。
2階。屋根を組む構造が見える。
photo(C)Takumi Ota
バブル期にお金持ちの家として建てられた通称「スネ夫の家」。元々の外観は赤いレンがのようなタイルに陸屋根といった出立ちだが、実は木造家屋で屋根型が組まれています。リビングは大きな無柱空間ですが、それは木造の柱が落ちてこないように鉄骨の梁が天井裏で支えています。
長坂氏はその隠す・隠さないという見栄の張り方に突っ込みどころを見出します。つまり内部・外部ともに一部の表層を剥ぎ取り、隠している側と隠されている対象を同時に現してしまうのです。外部はタイルを目地をモルタルで塗り白く塗った後に全体をグレーの塗料で塗ります。内部は、天井裏の鉄骨・屋根型の梁をともに室内に露出させます。これにより、普通には受け入れられない強い存在を拒否するのではなく受け入れることができ、その間を繋ぐ強い拘束からそれぞれのパーツが解き放たれ、複数の矛盾を内包し空間が生き返る、先読みされにくい空間となります。

藤原徹平氏による両ゲストへの質疑応答。

・「好きな都市はどこですか」
・「両ゲストとも技術に関して造詣が深いのですが、技術について思うところを話して下さい」
回答は省略します。

客席との質疑応答。幸運なことに指名していただいたので質問をさせていただく。

以下、メモを元に再構成したので、口調などは正しく表現できていないと思います。注意してください。
自分:「作品と時間の関係についてどう思われますか」
自分:「長坂氏の作品の場合、例えば実際に屋根型や鉄骨の梁を見せるというのはリノベーションを行っている時に意味を持つが、そこに人が住まうということと、その意味の操作によって空間を作ることとの関係をどのように捉えていますか。D-BROSの両名の方の作品の場合、商品として消費・流通していくという側面と展覧会などをやられているように作品として捉えられる側面があると思うのですが、それについて時間ということからどのように考えますか」
長坂:「プレゼンの捉え方によってそういう受け取られ方をすることがあるかもしれない、と思います。ただ、僕自身はあそこを気持ちのいい空間だと思っています」
藤原:「D-BROSの方は自分たちはメーカーだと主張されることがあるのですが、今の質問は商品と作品の違い、と質問を変えてもよいですね」
植原:「時間といわれてもぱっときませんが、商品が売れれば長い間残ると思うし、売れなければまた作るか、という気持ちでやっていますね」
渡邉:「私は女子なので植原とは異なった感覚だと思うのですが、私は普段生活してて友人たちから頂いたものを目に見える位置におくんですね。それで、ときどきふっと目に留まったときなどに手に取って、かわいいな、とかおもしろいなって感じで手に取るんです。そういう風に自分の作品が自分以外の、今の時代を生きてる人に届いて欲しいな、と思います。」

  • 藤原徹平氏による総括。

実際、今の質問(おそらく僕の質問)のように、建築の業界の中で使われている用語、言葉と商品や商業に携わっている人の言葉がずれているように感じる。そのような閉じた建築界のままではいけないのではないか、というようなお話でした。


自分の感想・考察は「15人の建築家と15人の表現者による対話実験@ワタリウム美術館 その2」に書きます

*1:電波が悪くtwitter実況ができませんでした。加えて、筆者のメモは曖昧です。

*2:写真は縮小、画質を荒くするなどの劣化処理を施しています。