最近の建築を取り巻く状況についての考察 番外編1:こたつ問題

その1 :「フラット」とは
その2 :ユニット派論争から現在までの流れ
番外編1:こたつ問題
2の補足:

こたつ問題

五十嵐太郎氏のブログにて、こたつ問題なる気になるエントリを発見しました。
・こたつ問題 ・こたつ問題を配信しました
(via Twisted Column)
個人的にラジオ配信というのは、建築メディアとしてはさまざまな点で難しいのではないかと思っています。ただ、やはり自分の興味のあるコンテンツならば自分のそれまでの勉強の範囲で話を理解できるので、気になるものだけ選んで聞いています。で、今回の気になったテーマは「こたつ問題」で、これはこの「最近の建築を取り巻く状況についての考察」エントリを書いてて気になっていた内容なので、取り上げてみようと思いました。(急いで書いたので読みにくい部分があると思いますが、ご容赦下さい)
このエントリは審査員に対する意見です。

最近のコンペの審査の傾向

最近のコンペの結果を見ていて、ラジオでも言及されていますように時代の流れとしてSANNAの両名や石上純也氏といった抽象的な空間が好まれてるなぁ、と思っています。アイデアコンペのような紙媒体の提出物のコンペでは表現はそこで評価されればいいと思いますが、現実に建てるものにおいてはそれがどのように実現されるのかという点まで考慮されるべきだと思います。(この点はラジオでも言及されています)

学生の努力、図面と実物の乖離、それが問題なのか?

で、ラジオではこの後、このアート作品の設計者は努力したかどうかといった話につながっていくのですが、ここでは違う話に移していきます。
少なくともこれは「努力」というテーマで語られる話ではなくて、東京大学という日本の最高の大学においてでさえ建築教育ができていない、と捉えるべきなのではないかと考えます。「建築」は図面を使って表現する「人・こと」と現場にて実際に作る「人・こと」を分けていることにより成立しているわけですから、この問題は大学ではその図面と実物の間のズレがなくなるように建築教育がされていないということを表しているといえます。また、それを選んだ審査員に関しては「建築」を見る目がないと評価されてもおかしくないでしょう。もし、この作品を選んだのが建築家の方でしたら、この審査結果がその人の作品の評価にも影響を与えるはずです。五十嵐氏は「この学生は表現がうまい」「抜群に目を引く」と言っていますが、この作品のどこに応募者の「建築」に対する考えや姿勢を見出したのか、プレゼンのどの表現を建築として良いと思ったのか、その点を語るべきだと思います。

審査員としての資質とは

「みなさんこの案を一等にすることが、どういう影響を与えるかを考えてますか?」
何年か前にせんだいメディアテークで行われた卒業設計展で一等を決める会議の間にある審査員の建築家が言われた一言だったと記憶しています。この「どういう影響」というのは、もちろん今後の学生に対してということだと思いますが、その作品を一等に押すということが、その判断をくだした建築家の建築観を表しているという意味もあるはずです。
このラジオ収録は欠席裁判で、制作者たちがいないところで笑い声まじりで行われてます。おそらくその笑い声は、「自分たちは関係ない」ということを意味するのだと思いますが、僕は一番に弾劾されなければならないのはこのアートのコンペに参加した建築側の審査員でないかと思います。
ぜひ、石上純也氏や大西麻貴氏の作風に似てるということではなく、そのコンペの応募案のどこに「建築」なるものを見出したのか、その説明が行われることを期待します。