「ポスコロ的建築態度とは?」坂牛卓氏の6月1日の日記を読んで思ったこと。

ポスコロ的建築態度とは?」坂牛卓氏の6月1日の日記を読んで思ったこと。
 http://ofda.jp/sakaushi/diary/
 レム・コールハースユリイカが発売されて、10+1に関係の深い建築家を始めとするweb上をにぎわしている方達の間では、早速この本について議論が行われているようです。それに伴い、南洋堂では建築系ラジオの収録「緊急討議 レム・コールハースの現在」が行われ、司会の松田達氏のブログ(http://www.cybermetric.org/jacques_ta2/)に書かれているその時の雰囲気が興味深いです。そこからパネラーとして参加した坂牛卓氏の日記が紹介されていたので、飛んでいって読んでみました。
 コールハースについては、個人的に勉強不足な感じがあるためそこまで印象に残らないのですが、この坂牛氏が書いている「ポスコロ的建築態度」というのがたいへん興味深い内容でした。(「ポスコロ」とは「ポストコロニアリズム」のことです。wikipedia:ポストコロニアル理論)
 ここでは、坂牛氏が中国で設計の仕事をしてその状況について嘆いていたことを、その後「本橋哲也『ポストコロニアリズム岩波新書2005」を読んだ上で思い出して、その自分の考えがどのようなものであったのか考えています。以下6月1日の日記より引用


____この本はコロニアリズムの原点として、コロンブスの話から始まる。そして植民地化の原則としての国語の重視、新たな土地で国語を強要するレケリミエント(催告文)という文章、征服者の言葉をしゃべらない人間の罰などが続く。これを読みながら、一昨日の中国での完成検査を思い出した。この仕事では徹頭徹尾中国との文化ギャップを感じてきた。そして振り返ってみれば、われわれは常に日本のやっていることが正しく、日本の水準が上であるということを疑わなかった。しかしこのレキリミエントを読みながら、もしかするとわれわれの行為もこれに近いのかもと頭をかすめた。日本の価値基準(言葉)を前提として、その言葉を話さない中国施工者は我々に服従する意思がないものとして罰せよと思っていたのでは?____


 大学で建築意匠を専攻している自分としては、この考え方は、日本と中国という対立ではなく建築家と使用者/施工者の間の対立と捉えることができるのではないかと思いました。僕には建築意匠を専門に勉強するゆえに、概念的な部分における設計思考を他の部分、例えば使い勝手とか経済性とかより優位に考える傾向があります。もちろん、学問の範囲においてはそれでいいと思っていますが、これから実際に現場に出て建物を建てていくに当たっては、自分の思考と他人の思考のズレみたいなものを上手にコントロールしていく必要があるわけです。特に大学で実際に建物を設計している建築家の設計論を議論する時に、どのフェイズにおける設計論なのかを見極めないといけないということを、改めて再認識できました。

建築の規則―現代建築を創り・読み解く可能性言葉と建築10+1 No.49 特集=現代建築・都市問答集3210+1 No.35 特集=建築の技法 19の建築的冒険『12 Architects, 12 Projects 2007』 DETAIL JAPAN (ディーテイル・ジャパン) 2007年 10月号 [雑誌]建築論事典